2009/10/05

My country, my job

JTPAシリコンバレー・カンファレンスの前は準備で立て込んであまり更新の余裕が無く、終わってからはいろいろ考えることもあり、総括できないまま更新しない日々が続いてしまった。日本語ウェブの世間は渡辺発言や梅田発言で在シリコンバレー日本人と日本にいる日本人の間の摩擦で大いに燃え上がり、何かその空気がまだ残ってる感じがする。カンファレンス自体も準備している段階から金融危機の影響がひしひしと感じられ、今まで好景気のシリコンバレーに「こっちの方が楽しいよ、おいで」という感じではなくなってきていたと思う。

金融危機の発端はアメリカのサブプライム住宅ローン問題であり、そのことで日本でのアメリカ信仰みたいなものが冷や水を浴びせられ、アメリカシンパの経済論者たちが槍玉に挙げられている状況だ。その中で「アメリカは良いよ、おいで」ということに対して日本に居続けている人たちはなんだか納得がいかないで反感を抱いているのだな、と思う。でもそれって、そもそも話がかみ合っていないように思う。

国家がどういう状況にあるかということと、一個人としてどういう未来の選択肢を選ぶかということの間には関連こそあれ、全く別の問題だ。それをアメリカと日本の優劣比べみたいにしかとらえられていないのではないだろうか。憂国や愛国の情と自分が個人としてどのような未来を生きて行くかは、混ぜて考えない方が良い。

「シリコンバレーでぬくぬく」している人は日本の実情とずれているみたいな論調も見受けられたが、ぬくぬく暮らして日本に貢献できるのなら、日本で苦しむのより日本のためになるのではないだろうか?東南アジアなどから日本に出稼ぎに来ている人たちは母国の人たちから国を捨てたとなじられるのだろうか?もし外貨を稼ぐのが目的であれば出稼ぎも良い。残念ながら日本を経済的に支えられる程日本を離れて働く日本人は多くない。できないのか、したくないのか。もちろんいやがる人が海外に出て働く意味など無い。でも日本で息苦しい思いをしている人もまたいるはずだ。そういう人たちに「海外で働いても良いんだよ」というのがカンファレンスの趣旨だった。

残念ながら底辺をみればアメリカはヨーロッパに比べれば制度的セーフティネットの弱い国だ。セーフティネットはともかく、社会主義的側面もないではなかった日本の医療や福祉政策はここ10年でまさにアメリカ化しており、本当の底辺ではどちらが厳しいのだか微妙になってきているように思う。残念ながらそんなに「ぬくぬく」していないシリコンバレーで生き抜いて行くのには、仕事の能力だけでないいろいろな適応力が要求される。それに挑む意気が無いのなら来てもしょうがない。「シリコンバレーにおいで」のかけ声も誰にでも届くものではないのはわかってて発信されているのだ。

どこの国に住み、働く事を選ぼうが、自分がどの国を愛しているかは心の問題だ。自分が働く場所は自分に向いているかで選べば良いだけだ。その方が自分にも愛する国、働く国に両方にとっても良いと思う。