2008/12/03

Knowing the Bay Area

JTPAのシリコンバレー・カンファレンスも募集期間が残り1ヶ月を切った。会場も決まり、当日に向けての期待が高まってきている。ここでついでにベイエリアの地理についてちょっと書いてみたい。もちろんGoogle Mapなりでみてみれば一目瞭然のこともかなりあると思うが。

アメリカの西海岸の海岸線は南からカリフォルニア、オレゴン、ワシントンの3州で占められている。カリフォルニアが大雑把に南半分くらい。南はメキシコ、北はカナダだ。
カリフォルニアと国境を接するメキシコ側の都市はティファナ。メキシコの関税特区政策マキラドーラとNAFTAのおかげで多くの製造業が工場を構えている。日本メーカーも少なくない。
国境のアメリカ側はサンディエゴだ。無線通信のQUALCOMなどが有名だが、今パナソニックとの合併話が取りざたされているサンヨーやソニーなど日本メーカーも北米拠点を構えたりしている。ティファナへの地の利も影響しているだろう。
サンディエゴから北上してキャンプ・ペンデルトンを越えると広義のロサンゼルス・エリアだ。実際日本人に馴染み深いディズニーランドがあるアナハイムを要するオレンジ郡、北側のベンチュラ郡、などをひっくるめてLAエリアとしてアメリカ人にも捕らえられていると思う。もちろんロス、とは言わない。ここは映画の都ハリウッドもあればテクノロジー企業もたくさん集まっている。日本の自動車メーカーは輸出の受け入れもあってこのエリアに大抵主要拠点を構えている。ここが南カリフォルニアの都だ。
LAさらに北上するとサンタバーバラにたどり着く。青色ダイオードで有名な中村教授のいるUCSBもある。のどかな町で地図上は意外と大きな軍施設が目立つ。産業は...よく知らない。
そこから北上していくとしばらく大都市にはあたらない。バンデンバーグ空軍基地を過ぎ、いくつかの海沿いの町を過ぎてロス・パドレス国立公園を過ぎるとモンテレー湾にいたる。湾の南側はモンテレー、北側はサンタクルーズだ。ここはすでにベイエリアの衛星都市圏という雰囲気だ。ハイテク企業も結構ある。LINUXをめぐって裁判を起こしたSCOもサンタクルーズだった。
サンタクルーズから北への海沿いは日本で言えば伊豆のような崖に沿ったワインディング・ロードが続く。モンテレー・サンタクルーズからベイエリアに行くには内陸の高速道路を使うの一般的だろう。1時間足らずでベイエリアのサンタクララ郡に着く。
サンフランシスコ湾の入り口は狭く、中の南北に長く伸びた南側がサンフランシスコ湾、北側がサンパブロ湾だ。ここがカリフォルニアの海岸線で言えば大体下から3分の2くらいだ。サンディエゴからサンフランシスコまでスペイン王の力で作られた街道エルカミノレアル(王の道)がフランシスコ修道会の修道院をつないだのがカリフォルニアの主要な交通路の礎だといえる。ベイエリアの詳細は後回しにして更に北に進むとあとはオレゴン、ワシントンの海岸線にもずっと大都市はない。修道会から町が始まったことを反映しているのだろう。アメリカの州間高速網の一番西を南北に走る5号線はサンフランシスコ湾の東を通り、海岸線からは数10km離れたまま北上を続ける。
途中の主要都市といえばオレゴン州ポートランド。IT業界ではインテルの開発拠点も在ったりする。行ったことはないが大都会、ではないらしい。
ワシントン州を突き抜けていくとカナダとの国境を隔ててから南に入り組んできたリアス式の湾の東側にシアトルはある。言わずと知れたマイクロソフトの本拠地だ。任天堂アメリカの本拠地でもある。
湾の北のカナダ側はブリティッシュコロンビア州。北部西海岸最大の都市バンクーバーがある。バンクーバーは大量の輸出資源を抱えるカナダ最大の貿易港でもある。ハイテク業界も発達しており、カナダ最高の住居コストもあってベイエリアと比較されることも多い。ビデオゲーム業界最大手パブリッシャー、エレクトロニックアーツが世界最大の開発拠点を構えてもいる。

さて、ようやくベイエリアに話を戻そう。英語圏に他にベイはいくらもあるだろうが、ベイエリアといえばサンフランシスコ・ベイエリアの事だ。
サンフランシスコ湾の入り口に掛けられているのがゴールデンゲート・ブリッジだ。ゴールデンゲートという名前はトルコのイスタンブール、古のコンスタンチノープルから着ているのだとか。湾には他に4つの橋が架かっている。湾の北側から東へかかるリッチモンド・ブリッジ、
湾の南側を東西の横切る橋が北からベイブリッジ、サンマテオ・ブリッジ、ダンバートン・ブリッジだ。
ベイエリアの中心はやはりサンフランシスコ。ベイリアでシティといえばサンフランシスコの事だ。だが面積的にはベイエリアの多くを占めているわけではない。サンフランシスコは行政的に言えば市であり郡でもある。ここが北カリフォルニアの都だ。
湾の北側のマリン郡は高級住宅地としても知られるが、人口密度は低い。その北は太平洋岸がソノマ郡、内陸側がナパ郡、どちらもワインで有名な農業地域だ。サンパブロ湾の東側は河がが流れ込んでおり、北がソラノ郡、南がコントラコスタ郡だ。
南北に長いサンフランシスコ湾には大型河川は流れ込んでいない。西側の半島の北端がサンフランシスコで東岸はその通り、イーストベイと通称される。コントラコスタ郡の南側はアラメダ郡だ。
オークランド、バークレーのあるアラメダ郡はサンフランシスコとはまた少し違った雰囲気らしいが、あいにくまだほとんど行った事がない。ベイエリア3大空港のひとつオークランド国際空港(OAK)はここだ。もちろんUCバークレーがあり、テクノロジー企業も多く存在する。内陸の方には高エネルギー物理学やスーパーコンピュータで知られるローレンス・リバモア研究所がある。
湾の西側に戻ると、サンフランシスコの南側はサンマテオ郡だ。ここら辺のエリアの通称はペニンスラ(半島)。サンフランシスコから半島の湾沿いを高速国道101号線(ワン・オー・ワン)が南北に走っている。道の混み具合にもよるが101号線を30分ほど走ったところにサンフランシスコ国際空港(SFO)がある。実はサンフランシスコ国際空港はサンフランシスコにはない。サンマテオ郡サウスサンフランシスコ市にあるのだ。101を南下していくとサンブルーノ、ミルブレー、バーリンゲーム、サンマテオ市と続く。サンマテオ・ブリッジがかかっている袂はフォスターシティ。ベルモント、サンカルロスの次、レッドウッドシティはオラクルの本拠地として有名。エレクトロニックアーツの本社もここだ。アサートン、メンロパークは高級住宅街。サンマテオ郡の産業では総じて金融サービス系とそれに関連するIT企業が多い気がする。
その南がサンタクララ郡。ここがまさにシリコンバレーと呼ぶべきエリアだろう。
ちょうど郡の境あたりにパロアルト市はあり、あまり治安がよくないことで知られるイーストパロアルト市は実はサンマテオ郡だ。スタンフォード大学は実はどこの市にも属していない。スタンフォードで独立しているのだ。
101を南下し続けるとベイが途切れるあたりでマウンテンビューになる。Googleのあるところだ。左にNASAのジェット推進研究所のあるモフェット空軍基地が見える。更に進むと101は東に曲がっていき、サンーベール、サンタクララと続く。もうハイテク企業の名前を上げていくのも馬鹿らしい感じだ。
そしてサンノゼ。サンノゼ国際空港(SJC)は101のすぐ南だ。そこを少し過ぎた空港の南東側のエリアがダウンタウン。会場のSJSUはダウンタウンの南に位置する。
サンフランシスコからサンノゼまで101の西側を、旧道であるエルカミノレアルはずっと併走している。101を降りてエルカミノレアルにあたっとところが大体ダウンタウンや繁華街だ。
日本からベイエリアへ飛行機でアプローチすることを考えると、成田から今直行便が飛んでいるのはSFOだけのようだ。乗換えをすればSJCから入ったほうがサンノゼだけを考えたらだいぶ近い。
SFOからサンノゼへは車なら前述の通り101一本だが、公共交通機関を利用するならBART、CALTRAIN、VTAを乗り継ぐことになると思う。どちらかというとタクシーやシャトルを利用した方が快適ではないかと思う。もちろん少々高くつくかもしれないが。
どういう計画を立ててカンファレンスに参加するにしても、カンファレンスだけでなく、アメリカ特にベイエリアの暮らしぶりを肌で感じて行くつもりでできる限りゆとりを持った予定でいろいろなところを見ていくのが良いと思う。

2008/12/02

The 10000ft Overview of history of the media

送り手と受け手の関係からメディアの歴史をすごく俯瞰した興味深い記事。
小寺信良の現象試考:「一億総クリエイター」という勘違いに至る道のり (1/3) - ITmedia +D LifeStyle via kwout

でも重要なポイントがちょっとだけ触れられているのに結論に結びついていない。
記録メディアは娯楽の送り手と受けての空間と時間を分離した。だがラジオやテレビの放送は当初「生」だったため、空間の分離はもたらしたが時間は分離しなかった。
空間の分離の本質はとは受け手が送り手を見たり聞いたり感じることができるが、送り手には受け手が感じ取れない、というところにある。これは共有する場の分離だ。
それでも生放送の番組中で視聴者の葉書を読んだり、電話で話したりするラジオやテレビ番組が絶えないのはそこに受け手が送り手に感じ捉える感覚を生み出す効果があるからだ。つまりマスメディアである以上情報量の非対称は避けられないが、擬似的に受け手側から送り手側に情報を送り返すことができることによって擬似的に空間を越えて共有される場を作り出しているからだ。
マスメディアには冷たい匂いが付きまとう。人は所詮感覚の動物であり、高度に発達した表現技術は受け手に送り手が思うような感情や衝動を引き起こすことすら可能である。ナチスドイツの宣伝政策などを思い起こせば、そしてそれを一方的に大勢に送りつけることにはどうしても人間に本能的な警戒心を引き起こすだろう。
共有されている場には受け手にも参加している感覚があり、これがコミュニティとしての一体感を醸成する。より原始的な娯楽に近い感覚があるのだ。双方向性を持ち始めたメディアは空間や少々の時間すらも越えて場を形成することを可能にしている。これは実は原始時代からあまり変わっていない人間の共有される場での娯楽への回帰といえるかもしれない。
そう、売り物にはならない。そしてアンコントローラブルだ。そして参加者がコミュニティへの一体感、帰属意識を持っていることは別に良いことばかりではない。ここでは同調圧力、コミュニティ内の序列の生成、そして集団ヒステリーなどコミュニティが持ちうるあらゆる問題がバーチャルに再現されているのだ。メディアの性質によって増幅される部分もある。生まれたばかりの擬似的なコミュニティは現実世界のコミュニティと重層的に存在し、そこからかかる絶え間ない摩擦によるストレスが不安定さに輪をかける側面もある。
小寺氏はプロのメディアクリエイターとしてビジネスの視点でメディアの発展を観察しているのだと思うが、今の新しいメディアのあり方は予測はつかないが納得はいくものだと思う。メディア技術の進展が送り手と受けての関係をどう変えていくのか、実に興味深い。

2008/11/22

Where does blogging take you?

ブログを書いてどうなるのか、僕はまだ知らない。それを知るためにもはじめてみようかなとも思った。
WWWの普及当初からウェブページのコンテンツを作ることに惹きつけられる人は少なくなかった。僕は社会人になるのとWWWがブレークするのが大体同じころだった世代だ。学生時代はインターネットといっても利用はメール、FTPが中心だった。卒業するころにMOSAICが現れ、研究室でも自分のウェブページを作ったりとか色々し始めた。そして社会に出たころにはあれよあれよのペースでインターネットは普及し、それを牽引するアプリは確実にウェブだった。商業化が進み、ポータルサイトなどという概念がもてはやされた時期だった。
一応このころにも僕はウェブページ作りなどをやってみた。どちらかといえばグラフィック志向であったのでFlashの入ったページなどを色々作ってみたりした。そもそも僕はFlashの前身のSmartSketchをWACOMのタブレットとバンドルで買った口だ。それがFutureSplashAnimatorになり、Macromediaに買収されてFlashになった。当時はウェブ標準も安定していなく、ウェブページの最終的な見た目をコントロールするのが難しかった。Flashの埋め込みも色々面倒だったが、何とかFlashでチョコチョコと何かページを作ってみたものの、面倒くさくてはっきり言って続かなかった。
その後ホスティングを友達の間借りから自分でレンタルサーバを借りてみて、細かいFLASHなどは面倒なので基本的に日記を作るためのシステムみたいのを構築した。文章書いて、画像を添付してなどをWebページ経由でできるようにした。言ってみれば今のブログみたいなシステムだ。当時お手本にしたのはどちらか言うとBBSのシステムだけど。技術的にはホスティング・サーバがIISだった都合上ASPを使って、どちらもJScriptで書いた。当時ちょうどブラウザ戦争でIEとNetscapeが両立し、コンテンツを作る側も両対応で面倒なスクリプトを使うか、切り捨てるかを迫られる状況だった。微妙なスクリプトやCSSの互換性を気にしながら作るのは相当めんどくさかったが、一応動くシステムを作って前よりは更新がはかどるようになった。でもいつの間にか更新はスローダウンして徐々に休止してしまった。
再チャレンジはろくに使ってもいないホスティングサービスがメールがらみのトラブルが続いたため、別のところに乗り換えたとき。そろそろブログというものが話題になり始めて、ちょうどブログシステムを自分のサイトにぽんと導入できる仕組みになっていたので試しにやってみた。ところがろくに使いもしないうちにスパまれまくって終了。システムの対策自体がどうなってるのかも分からず、面倒くさいサーバ側の設定に飽きて投げ出した。
それから早2年くらい経つ。その状況からはじめた今回はとにかく有り物のサービスを使うことにした。Googleのやってる奴なら、とりあえず王道だろうとBloggerにしてみた。使い始めてみて気付いたのがBloggerにはTrack backがないということだ。自分へのリンクはGoogleが勝手に見つけてくれるのか。また自分がリンクしていることを知らせる手段は用意されていない。色々他のサイトの付加サービスなどで一応Track backを受けたり、Track backを打ったりもできるようだが試しに他の色々な無料ブログ・サービスで試してみても、なかなかうまくいかない。MozillaでブラウザからTrack backを打つプラグインなども試したが、これもだめなときがある。正直ブログがはやりだして数年経つが、あまりインフラとしては統一されていない点に気付いて少し驚いた。
初期のウェブはスタティックだった。そこにインタラクティブに書き込みができるようなBBSが生まれ、誰もが書きこむ掲示板からページの主の書き込みとコメントを明確に分けるブログになっていったが、ブログのブログらしさはTrack backという仕組みによって生まれた様々なブログのエントリの有機的なリンケージだろう。ただ一人が1箇所で発信する、1箇所で大勢が発信する、一人一人が自分の場所で発信したことがお互いに向けられて網の目のように広がっていく、というConsumer generatedなウェブの進化のステップだと思う。スタティックなウェブの時代にもBBSの設置や手で編集された相互リンクというものはあった。これがシステマチックにインフラ化されていくことによってどこまで裾野が広がり、コンテンツが豊かになっていくのか。現状のTrack backはまだ明示的にPINGを打ったりとかのステップが含まれる場合も多い。実際には何かのコンテンツを書いて発信したときに参照されている別のコンテンツに自動的に相互リンクが発生するようになって行くべき、というのがBloggerの仕様の背後にある思想なのだと思う。現時点ではまだ主流ではないようだけど。
とりあえずしばらくはTrack backの打ち方などを試したりしながらBloggerを使い続けてみようかと思う。

2008/11/15

How much English will you need?

JTPAのシリコンバレーカンファレンスの募集が始まった。ベイエリアで働いてみたいと思う人にとって、どのくらいの英語力が必要なのか、というのはとても気になるところだと思う。ちょうどumedamochioブログのエントリ 水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 からはじまって、この本と日本語・英語に関するブログが盛り上がっていたが、kennブログ 英語の世紀に生きる苦悩 がカンファレンスの紹介でうまく締めてくれた。
kennが書いているように仕事に必要な英語力というのは何とかなるものである。というか、何とかできる範囲までがその人の仕事の実力なのである。何とかできる範囲で仕事が勤まらないのならクビになる恐れだってある。仕事上の英語でのコミュニケーション能力の要求レベルはもちろん職種による。多分、弁護士とかコミュニケーションが仕事上の重要な比重を占める職業では言い訳は効かない。ただ、弁護士の仕事だってまちまちだろう。英語力に自信がなくても日本語もできることを武器にしたり、自分の能力に合った仕事上のニッチを見つけられれば、仕事は勤まるし、やっていけるものだ。職業間で相対的にいえばエンジニアに要求される英語能力のハードルはそんなに高くない。コンピュータ用語の多くはだいたいすでに外来語だし、IT系の職場は非ネイティブなエンジニアで溢れている。ただアメリカの職場では引きこもりはいないのと一緒だ。技術上の判断についてディスカッションするときなど、拙くても引いてはいけない局面はいっぱいある。そういうときに常に引いているようではキャリアに前進はあり得ないだろう。技術スキルと同じくコミュニケーションスキルも生涯磨き続けなくてはいけないものだ。別に日本で日本語を使って仕事をしていてもそれは変わらない。仕事上のコミュニケーションスキルというのはいかに適切に仕事上必要な情報をやり取りできるかであって、これは仕事でのコミュニケーションの要求が高まるほどにどの言語であっても意識してスキルアップが必要なものだ。気取った会話ができるかどうかという事ではないのだ。
僕は子供の頃3年ほどアメリカで過ごした、いわゆる「帰国子女」だ。英語力に関しては日本でずっと英語を学んできた人とはスタートラインはずいぶん違うとは思う。10年間アメリカでやってきて、もう日々の仕事上の英語にはほとんど不自由しない。でも仕事でも正直つらい部分もある。特許の書類にはかなりわかりにくい英語が使われてたりする。読みこなすのは結構しんどい。あとは学術論文関係も数学などの高等教育の基礎を英語で叩き込んでいない身には結構しんどいものだ。「二次」は"Quadratic"とかって、辞書引き引きでは時間がかかって仕方がない。こういうのは量をこなしてレベルアップして克服して行くしかない。
ただアメリカで生活して行くって言う事は仕事だけじゃなくある程度の生活を英語で生きて行く、ということだ。kennが言っているようにパーティーなどでの会話では話題が途切れ途切れで表現も仕事では聞かないカジュアルなものが飛び交い、言葉は100%聞き取れていても何の話をしているのかすら分からない、という事は確かにある。まぁ、僕はkennみたいに若いweb起業家の集まるスノッブなパーティーには縁はないのだが。こういうつかみ所のないカジュアルな会話に入って行けるかは純粋に文字通りの「英語」が理解できるかだけでなく、その背後の「文化」を理解しているかどうかだ。「理解」というより、どれだけ「身につけ」ているかだ。
確かに「文化」の境界線の一つとして「言語」は非常に大きいものだが、同じ言語の中でも「文化」は多様だ。そして「文化」は勉強して理解できる部分もあるが、感覚的な部分も含めて多くは自分の人生経験や生活体験に根ざすものだ。僕の職場に去年アメリカに来たばかりのイギリス人がいる。イギリス人なのでもちろん英語はネイティブな訳だがたまに使ってしまう英国風な物言いがアメリカで通じない事に軽いカルチャー・ショックを覚えるそうだ。これはまさに英語圏の中の文化の境界の実例だ。もちろん言語は文化のコンテキスト抜きで存在できない。仕事で使う実用英語のコミュニケーションだって、例えばITテクノロジー・ビジネスの文化的コンテクストの中にあるのだ。ただその文化が多言語にまたがっている部分があるために日本語でそれに接している人間には比較的寄り付きやすいだけに過ぎない。
極論すれば、おじさんが女子高生の会話について行けないのと大差ないのだ。会話の内容が高尚か低俗かなどはあまり関係ない。問題は自分が会話の輪に入れていない事をどれだけ苦痛に感じるか、そしてそれにどう対処して行くのか、だと思う。dankodaiブログは 英語の世紀で日本語を話せるよろこび で会話をクロスカルチャラルなものに持ち込む事を提案している。正直僕もこういう会話は楽しいし、実際ベイエリアのテクノロジー業界はマルチカルチャーの人材で溢れており、こういう会話が弾むことは多々ある。それでもだ、所詮アメリカは巨大モノカルチャーであり、それに属している人たちはクロスカルチャラルな会話に逆に居心地の悪さを感じるのだと思う。そしてアメリカのモノカルチャーに閉じてしまった会話が行われているときに、その文化に属さない人間がそこに溶け込むのにはイバラの道だと思う。いくらアメリカ文化に精通しても日本人に生まれてしまった以上、アメリカ育ちのアメリカ人になる事はできないのだから。でもその会話の輪に入る事にそれだけの価値があるなら、そのレベルまで単純な英語力だけでなく、文化を身に染み付かせないといけない。正直僕はそこまでアメリカ文化に迎合する必要を感じない。そうしなくても仕事を通して自己実現できる事自体がアメリカの良さだと信じているから。
仕事で通じるコミュニケーション能力は磨き続ける必要があるだろう。カジュアルにアメリカ人を気取れるように英語を磨くのは、努力としては共通する部分もあると思うが、基本的に違う目標だと思う。後者は前者ができてから悩めば良いと思う。

2008/11/14

10 years in the US

アメリカで働き始めて来年の春で丸10年になる。思えばあっという間だった。幸運にも10年間、やりがいのある仕事と職場に恵まれてきた。必死で学びながら前進してきた10年だった。
考えてみれば10年前、PCに入ってるOSはまだWindows95とか98だった。日本から持ってきた数年落ちのPCのCPUは200MHzのMMX Pentiumだった。AppleはJobsがiMacを大成功させて、復活の道を歩き始めたばかりだった。本当にコンピュータ業界の変転は激しい。
日本ではまだインターネット接続にISDNを使っていたので、アメリカでRoadRunnerのケーブルモデムが入ってから、日本の友達にその速さを自慢したものだった。いまや日本ではFTTH当たり前、なのにUSのブロードバンド事情は寂しい限りだ。テクノロジーの浸透にはマーケットだけでなく政治が大きな役割を果たす領域もあるわけだ。
そんな中、僕はアメリカで3つの町に暮らし、技術的に興味深い仕事を続けられてきたので、あまり自分の仕事に直接関係のない他の技術や業界には目を向けないで来た。だが今のベイエリアに引っ越してきて、テクノロジー業界の地理的中心にいながら井の中の蛙でいるのは何だかもったいない気がしてきたのだ。そして一年位前、ネットで見かけたイベントの告知に惹かれて何となくJTPAのイベントに顔を出してみた。
身近な業界のプレゼンターということもあって松田さんのサロンは非常に面白かった。実演コーディングは深夜にまで及び、そのあとも遅くまで色々だべって、すっかりはまってしまった。その後、毎月のギークサロンセミナーには足繁く通うようになった。もちろん技術の話だけなら他にもつながりを作る場はあるのだろうが、日本語と日本文化というコンテクストを共有しながら、触れられる技術の領域は非常に広いというのが本当に良い刺激となっている。そのJTPAが来年の春に丸一日のカンファレンスイベントをやる。今年までは少人数のツアー形式だったものが来年は200人までのカンファレンスになったということで、僕も裏方として参加させてもらうことになった。それを機にこのブログをはじめてみた。
カンファレンスは誰でも参加歓迎だが特にターゲットにしているのは日本の閉塞感から海外に飛び出してやろうと考えている学生や若手社会人、特にソフトウェアエンジニアなど技術系の人たちだ。僕がアメリカに渡ってきた10年前、シリコンバレーはやはり技術のメッカだったが、日本がそんなに遅れをとっているという実感はあまりなかった。だがこの10年間、韓国や他の新興工業国の成長とともに日本の技術的優位は揺らぎ、それが特にエンジニアには苦しい状況を作り出しているように感じる。もちろんアメリカが楽園な訳ではない。競争は厳しく、また今の経済環境の厳しさは世界中共通だろう。それでも技術を糧にに生きていく者に、未来への希望を感じさせる何かがシリコンバレーにはある。このイベントに参加してぜひそれを感じ取ってもらいたい。申込み開始は明日からだ。ぜひふるって参加して欲しい。

Silicon Valley Conference

Author

Tat
Is tinkering about how technology is affecting our life. Or how the advancement in technology has defined how we live now.
Otherwise spending time cooking or working on DIY projects and sometimes blogging about it.
Working as a software engineering manager during the day.
技術がどのように私たちの生き方を左右しているか、また過去の技術の発展がどのように現在のあり方を左右してきたかについて、いろいろ考えてみたりしています。
それ以外のときは料理をしたりDIY工作に励んだり、それをブログに書いたりしています。
昼間はソフトウェア開発のマネージャーをしています。

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